第九話 母の声
五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。
長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。
「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。
「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。
三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。
「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。
一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。
妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。
「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。
「こんな所に居たのかい……」 玉芳は、台所に座っていた梅乃を見つけた。
「すみません……なんか、急に寂しくなって……」 梅乃は、涙をポロポロと流しながら話していた。
「また、会いに来るから」 玉芳はニコッとして、梅乃の頭を撫でた。
「もうじき、大江様が到着されます」 男性従業員の言葉が聞こえ、一斉に支度に取り掛かるのであった。
「梅乃、小夜、しっかり勉強をするのですよ」 玉芳は、母親のような口調だった。
そこには、梅乃も、小夜も同じ気持ちでいた。
妓女としてだけではなく、母親のような存在であった玉芳の引退に、幼い二人には厳しい現実であったのだ。
そして、大江より先に花魁同士で しのぎを削《けず》ってきた仲間が祝福に訪れてきた。
「玉芳花魁……おめでとう」 長岡屋の喜久乃と、鳳仙楼の鳳仙である。
「なんだ~ 来てくれたの?」 玉芳は、この上ない笑顔だ。
「当たり前じゃないか! 大見世の花魁同士だよ」
玉芳を始め、喜久乃や鳳仙と言った大見世の花魁が集結した三原屋は賑やかである。
ただ、一般の妓女からすれば天上人である。 生きた菩薩の三人の空気に圧倒されるばかりであった。
「紹介するわね。 喜久乃花魁と鳳仙花魁よ!」 玉芳は、二人を三原屋に紹介していた。
「あれ? あの娘《こ》は?」 喜久乃がキョロキョロしながら言い出した。
「あの娘?」 玉芳が首を傾げる。
「ほら、禿の元気な娘よ。 梅乃だよ」 鳳仙が説明した。
「あぁ、台所で泣いてるわよ」 玉芳は、苦笑いで答えた。
「仕方ないか……本当に母親みたいだもんね」 鳳仙は勉強会などで、玉芳が率先していたことを知っているだけに梅乃の気持ちも解っていた。
「こんにちは……鳳仙花魁、喜久乃花魁」 梅乃は泣き止み、大部屋に出てきた。
「お~梅乃、泣きべそだね~」 鳳仙は満面の笑みで、梅乃の頬を撫でた。
「これからも、ちゃんと玉芳の言われた事を守るんだよ」 喜久乃も梅乃の心配をしていたようである。
「ありがとうございます」 梅乃は、しっかり頭を下げた。
「大江様、大門の前に到着されました」 男性従業員が大声で叫ぶ。
「さて、時間がきたね……」 玉芳は、ゆっくりと腰をあげた。
「玉芳……」 采は、ぐっと涙を堪えていた。
「お母さん……」
「玉芳……」 文衛門にも涙がこぼれた。
「お父さん……」
「菖蒲、勝来、梅乃、小夜……しっかり、三原屋の菩薩になるんだよ」
禿の時代、そして妓女になっても四人の間柄は変わらなった。
「姐さん……」 三原屋の全員が玉芳の門出に涙していた。
「さぁ、行くよ! 最後の花魁道中だ」
三原屋を出た玉芳に、盛大な拍手が送られた。
そして江戸町一丁目から大門は近くである為、一番奥の水道尻まで歩いて折り返すルートにしていた。
「旦那、少しお待ちを……」 大門の守衛は、大江の茶を出していた。
ゆっくりと仲の町を歩く姿は神々しかった。
「派手だなぁ……」
仲の町を歩く人々は、みんな見ていく。
先頭に玉芳、二列目に祝福をする鳳仙と喜久乃までもが外八文字で歩いていた。
この噂は吉原中に広がり、他所の見世の客や妓女までもが見物に来ていた。
「ごめんね……一緒に歩いて貰って……」 玉芳は、申し訳なさそうに鳳仙と喜久乃に謝っていた。
「いいのよ……これもウチの宣伝になるしね♪」 喜久乃は、まんざらでもなさそうであった。
そして引手茶屋の前、足を止めて左右の茶屋に礼をする。
今までの感謝を伝えていたのだ。
「私も使おう……」 今まで、引手茶屋に礼と言えば金銭の事になるが、この一礼だけでも印象は変わる。 鳳仙は、玉芳が花魁として愛された理由《わけ》を知った。
そして大門に到着する。
この大門に集まった者は、数百人いた。
「お待たせしました……」 玉芳は、ニコッと微笑んだ。
「あぁ、素敵だったよ」 大江も微笑んだ。
玉芳は、くるっと回り
「今まで、ありがとうござんした……玉芳は、これから大江様と歩んでいきんす……」 玉芳は、涙でいっぱいになっていた。
そして、ゆっくりと高下駄から足を下ろすと
「玉芳――っ」 観客から別れを惜しむ声が響いた。
玉芳は、振り返らずに前へ足をだして大門の外に出た瞬間
「お母さん―」 大声で叫ぶ声がした。 梅乃である。
玉芳は、足を止める。 それでも振り返らずに大門の外に待たせてある車に乗った。
見送った全員は、見えなくなるまで玉芳を見送っている。
「うぅぅ……」 必死に涙を拭《ぬぐう》う梅乃と小夜に、菖蒲が肩に手を置いて、
「私も姐さんみたく、泣いてくれるかい?」
「はい……でも、行かないで……」 梅乃の返事は、菖蒲の涙を誘うものであった。
「よし、私も頑張って働くかね……」 喜久乃が声を出すと
「そうね。 ライバルが減ったからね♪」 鳳仙も寂しさを吹き飛ばすかのように声を出した。
三原屋の一時代は終焉《しゅうえん》を迎えた。
そして、翌日には次の戦略会議が行われていた。
「次の花魁ねぇ……玉芳が長いこと君臨《くんりん》していたから、考えてなかった」
采は頭を抱えていた。
「う~ん」 文衛門も悩んでいた。
ここで二人の候補が浮上していた。
一人目は、信濃《しなの》 二十五歳である。 信濃は学もあり、琴の才能もあった。
売上も程々良くて、三原屋で十年働いている。
二人目は、花緒 二十四歳である。 花緒は近藤屋の閉鎖に伴い、三原屋が引き取った四人のうちに一人である。
気立て、優しさは申し分なく頼れる逸材《いつざい》である。
「ここは、迷うな……」 文衛門は難しい選択に迫られていた。
花魁次第で、見世の売上や評価が変わるからである。
新しい吉原《よしわら》細見《さいけん》の作り直しに、時間が差し迫っていた。
【吉原細見】とは、江戸時代に蔦屋《つたや》重三郎《じゅうざぶろう》が版元として売っていた吉原のガイドブックである。
各妓楼の妓女や、料金などが書いてある本の事である。
「どうする……」 文衛門が悩み、二日が経った。
「おはようございます♪」 梅乃と小夜は、見世前の掃除をしていた。
他の見世であれば男性従業員の仕事であるが、梅乃たちは自ら掃除をしていた。
「梅乃、小夜……ここだけの話しじゃ、守れるか?」 文衛門は、まさかの禿に聞く案を使った。
これは大人の色眼鏡を通した目より、純粋な目を借りて参考にしようとしていた。
「梅乃と、小夜は、誰が花魁なら良いと思う?」
「う~ん……私は信濃姐さんかなぁ」 小夜が言う。
「どうして?」 文衛門は、前のめりで聞いていた。
「いつも、お客さんが居て人気だから……」 小夜の言葉に、文衛門が頷いた。
「それで、梅乃は?」
「私は勝来姐さん」
「勝来?」 文衛門は驚いていた。
「勝来は、これから新造出しだよ?」
「うん。 だから将来的に勝来姐さん」
「将来的にかぁ……なんで勝来なんだい? それなら菖蒲じゃないかい?」
「菖蒲姐さんでも良いと思います。 玉芳花魁が育ててくれた姐さんだし……」
「それなのに、勝来かい?」
「それは、お武家様の人で、教養と冷静さがあるから」
梅乃の言葉に、文衛門は驚いていた。
(この娘、そこまで先を見ているのか……)
そして話しが終わり、文衛門は采と話をしに行った。
「ちょっといいかい?」
「なんだい?」 采は、そろばんを弾きながら返事をする。
「あの子たちにも聞いたんだ」
「あの子って、梅乃と小夜かい?」
「小夜は信濃、梅乃は、何故か勝来と言ったんだ……」
「勝来? 菖蒲じゃなく?」 采はキョトンとしていた。
「まぁ、ひとつの案として聞いたんだけどね」 文衛門は、それを言い残して去っていった。
大部屋は女の部屋である。 主《あるじ》の文衛門でも男である為、長居はできないのだ。
「ふ~ん」 采はチラッと勝来と信濃を見ていた。
そして翌日
「勝来、ちょっと来な!」 采が勝来を呼んだ。
「なんでしょう? お婆」 采の前に正座をする。
「お前、もう十四だろ? そろそろ新造出しをするかい?」 采の言葉に、勝来は驚いていた。
「いいんですか? 菖蒲姐さんも新造出しをしたばかりで……」
「お前の気持ちを聞いているんだよ……」 采は、勝来の覚悟を確かめていた。
「はい……お願い致します」 勝来の返事で、覚悟が決まった。
「お前さん、勝来に賭けてみようじゃないか」 采は奥に居た文衛門を見て、ニヤリとした。
「とりあえず、信濃を置くよ」 そう言って、采はやり手の仕事に戻っていった。
絶対的な支柱を失った三原屋に、これからの手腕が試される時が来たのである。
第三十八話 逆襲「こんにちは~」 梅乃が挨拶をする。この日は赤岩と往診に出ている。「あ~ 梅乃ちゃん、いらっしゃい。 先生もありがとうございます」そう言って、妓楼の中に入れてくれたのは小松崎である。以前、大量の足抜により頭を抱えていた『小松屋』の店主である。梅乃の活躍によって足抜は無くなり、見世を維持できていた。そんな小松屋が三原屋に往診を依頼してきていたのである。赤岩と梅乃が大部屋に入ると 「一列に並んでくださーい」 梅乃は早速、妓女並ばせる。(すっかり手慣れたもんだな……) 赤岩がクスッと笑う。「では、始めます」 赤岩が言うと、梅乃が妓女の服の下を確認していく。「異常なし……こちらも異常なし」 梅乃のチェックは回を重ねる毎に早く、そして正確になっていた。その時、「ん? これは……」 梅乃が悩み出す。「梅乃、どうかしたの?」 赤岩が声を掛ける。「先生、コレなんですが見たことないのがあります……」「どれどれ?」 赤岩が見ると、妓女な身体にはアザとは違う青緑がかった模様が出ていた。「これ、何だったかな……?」 赤岩が考えていると、「もしかして、緑膿菌ですか?」 梅乃が言う。 赤岩は絶句する。何年も医者をやってきている赤岩より、梅乃の方が早くに言葉にしたからだ。「梅乃ちゃん、どうしてこれを……?」「へへっ 先生の本を読んでました」 梅乃が鼻の下をこすって笑う。(なんて子だよ……)「それで、どう対処するんだっけ?」 赤岩が聞くと、「とりあえず栄養のあるものを食べて、免疫を高めるとか……」「そうか……」 これでは梅乃の方が先生になっているようだ。緑膿菌は傷口などから発生する感染症である。現代と比べて衛生的に悪かった時代、感染する者は多かった。しかし、明確な治療が無かった為、『栄養を摂る』しかなかった。こうして小松屋の診察が終わった。「先生……ありがとうございます。 それと、梅乃ちゃん……前もそうだが、本当に世話になってるね。 ありがとう」 小松崎は梅乃の手を握って感謝していた。小松崎は、お茶や茶菓子を赤岩と梅乃に出す。「すみません。 わざわざ……」 赤岩が頭を下げる。「いただきます」 梅乃はパクパクと食べ出した。「梅乃ちゃん、本当に世話になったね~ こうして見世の主を続けられるのは梅乃ちゃんのお
第三十七話 無《む》宿《しゅく》明治五年、七月。 玉菊灯籠の時期がやってきた。「今年はどんな模様にしようかな~」 梅乃が言うと、古峰が横でソワソワしている。「どうしたの?」 「う、梅乃ちゃん……今年は私もやりたい」 古峰がソワソワしていたのは、灯籠の模様を描きたかったからだ。「一緒にやろう♪」 梅乃が古峰に筆を渡す。「おはよう。 朝から頑張ってるな~」 そう言ってきたのは片山である。「潤さん、おはようございます♪」 梅乃と古峰が挨拶をすると、「あれ? 小夜は?」 片山がキョロキョロする。「小夜は馬で休みながら、中で仕事してる~」 梅乃が説明する。「そろそろ梅乃もじゃないか?」 片山が言うと、梅乃が睨む。「い、いや……そういう訳じゃ……」 片山は妓楼の中に逃げていった。「う 梅乃ちゃん……馬、まだなの?」 古峰が聞くと、梅乃は小さく頷く。「一緒だね♪」 そう言って古峰が抱きついた。古峰が灯籠の下絵を描いていく。「古峰、絵が上手だね~」 梅乃が横から覗き込み、古峰の才能を褒めると「ありがとう。 私、親からも相手にされなかったから地面に絵を描いていることばかりだったの……何か言うと叩かれたし……」古峰は、顔を下に向けて話していた。「でも、これは凄い才能だよ」 灯籠の下絵を見て、梅乃は頷いていた。そして玉菊灯籠が始まる。 「今日は忙しくなるからね!」 梅乃が言うと、「小夜ちゃん、出来るかな?」 古峰は心配している。「は~はっはっ。 私は大丈夫だよ」 笑顔で小夜がやってきた。「元気になったんだ」 古峰が笑顔になる。「でも、なんか機嫌が良くない?」 梅乃が不思議そうな顔をすると、「じゃじゃーん♪ お婆が新馬を作ってくれたんだ♪」小夜が、ご機嫌で着物の裾をまくると、サラシで作ってもらった新馬を見せる。「そんなもん、見せるなよ~」 梅乃が大声で叫ぶ。三原屋の前の飾り付けが済んだ三人は、大部屋で妓女の手伝いに入る。今回は、二階の部屋を与えられている四人も昼見世に参加することで、梅乃たちは中級妓女が居る二階に来ていた。そして、梅乃が花緒の部屋に入る。「花緒姐さん、失礼しんす」 花緒の部屋を開けると、花緒が泣いていた。「どうしたんですか?」 梅乃が驚き、花緒に声を掛けると「この玉菊灯籠の時期って、寂しくなるん
第三十六話 栞《しおり》赤岩が復帰してから二週間が経つ。桜の花も散り出す頃、梅乃たち三人が並び「みんな、よくな~れ」 そう言って “ニギニギ ” をしている。そんな中、赤岩は岡田に蘭方医術を伝えていた。「ここの腑《ふ》ですが……」 ※腑は内臓のこと医学書を使い、岡田に説明をしている。岡田も必死に学んでいく。その途中、「そして先生…… 先生の病とは、どんなものなのでしょう……?」岡田の質問に、赤岩は黙ってしまう。「先生?」「あっ、すみません……」 慌てたように赤岩が謝る。「先生……」 「私の病は貧血なんです。 それも悪性の」 赤岩が話すと「先生― 戻りました~」 梅乃が赤岩の部屋の前で声を出す。この声で赤岩と岡田が黙ってしまう。梅乃が赤岩の部屋の戸を開ける。「赤岩先生、岡田先生もいたのですね。 今日も教えてもらえますか?」梅乃が無邪気に医学を教わりに来る。「そうだね。 今日は何を勉強しようか?」 赤岩が微笑む。 岡田は現実を知りながらも、二人の未来を見守っている。 「梅乃、古峰と買い物に行っておいで」 采がメモを渡すと 「はーい」 梅乃は、読んでいた本を閉じて立ち上がる。 そして買い物に出掛けた梅乃と古峰は、仲の町で手をつないで歩いていく。「ねー 古峰、赤岩先生って具合悪いのかな~?」 梅乃が突然言い出す。 「な なんでそう思うの?」 古峰が聞くと、 「この前、長岡屋で倒れてから岡田先生が居るでしょ。 なんか赤岩先生が悪いから岡田先生が診ているような気がするんだ……」「……」 これには古峰も黙ったままだった。 古峰も薄々と感じていたが、必死に誤魔化している赤岩の姿を見ていた。 この事は知らないフリをしている。 「こんにちはーっ 買い物に来ましたー」 元気よく千堂屋で声を出す梅乃。 「こんにちは梅乃ちゃん、古峰ちゃん」 野菊が挨拶をすると 「こちらの物をお願いします」 梅乃がメモを渡す。 しばらく千堂屋で時間を過ごした。 すると、客の声が聞こえる。「聞いたか? 長岡屋で医者が倒れた話……」そんな声が聞こえ、梅乃が耳を傾ける。(マズイっ―) 古峰は焦った。 そして、「う、梅乃ちゃん……コレ、綺麗だね……」古峰は、梅乃の耳を遮るように話しかける。「えっ? どれ?」 梅乃が古峰に顔を向
第三十五話 優しい嘘明治六年、 春真っ盛りで桜の花が眩しいくらいに咲いている。「みんな、よくな~れっ!」 梅乃が声を出すと、両脇の小夜と古峰が“ ニギニギ ” をする。桜の木の下での約束は健在である。誰かが大変であれば、 “ニギニギ ”をして励ます。こんな毎日を過ごしていた。「いたいた~」 梅乃に声を掛けてきた女の子がいる。絢である。「梅乃~、小夜~、えっと、誰だっけ?」 絢が笑って誤魔化していると、「絢~ 古峰だよ~」 梅乃が言う。「そうだった」 絢は古峰の名前を忘れていたようだ。「お昼前に会うの、久しぶりだよね~」 絢が言い出すと、「今は誰に付いているの?」「今は瀬門《せもん》姐さんに付いているの」 絢が答える。絢は、鳳仙に付いていたが癌で引退をしてしまい、そこからは瀬門という妓女の元で学んでいるらしい。「そうなんだね。 瀬門さんって、どんな人?」 小夜が聞くと、「まぁ、鳳仙花魁みたいな派手さは無いけど、色々と教えてくれるんだ~」絢は笑顔で話す。そんな話をしていると、少しの違和感が出てくる。「絢、ちょっとゴメン……」 梅乃は、絢の腕を掴んで禿服の袖《そで》をまくった。「―っ」 絢は驚いたが、一瞬の事で抵抗ができなかった。すると、袖の下から無数のアザが出てくる。「絢……」絢は急いで袖を元に戻す。「見なかった事にして……」 絢が視線を逸らして言うと「うん……なんで禿って、こうなんだろうね……」 小夜がボソッと呟く。絢は、目に涙を溜めていた。「よし、みんなでやろう!」 梅乃が言うと、四人で並んで桜を見つめた。そして、手をつなぎ “ニギニギ ”をして「絶対に花魁になろう! 辛くても、頑張ろう。 みんな、よくな~れ」絢も笑顔になって、ニギニギをする。「これ、なんか元気になるね♪」 絢は喜んでいた。こうして絢は鳳仙楼に戻っていった。その後ろ姿が見えなくなるまで梅乃は絢を無言で見送る。そして、三原屋に戻ると「お前たち、どこに行ってたんだい?」 采が言う。「すみません。 桜を見に行っていました―」 梅乃が元気に答えると、「そうか…… 梅乃、赤岩と一緒に往診に行っておいで。 小夜は勝来に付きな。 古峰は信濃に付くんだ」 采は今日の仕事を言う。梅乃が赤岩の部屋の前に来ると、「失礼しんす。 梅乃で
第三十四話 わらべうた深夜、梅乃が目を覚ます。それに小夜が反応して目を開けると「どこに行くの? 梅乃……」「小用……」 そう言って梅乃は布団から出ていく。しばらくして梅乃が戻ってくると「私も行ってこよう……」 小夜も立ち上がり、小用を済ませにいく。妓楼の大座敷の奥がトイレになっており、トイレの壁の向こうは外になっている。小夜が小用を済ませると、壁の向こう側から声が聞こえてくる。(こんな時間に、誰だろう……?) 小夜は気になっていた。そこから声がハッキリと聞こえてくる『通りゃんせ 通りゃんせ……ここはどこの細道じゃ……天神様の細道じゃ……』(こんな時間に、誰……?) 小夜の背筋が震える。そして小用を済ませた小夜が梅乃に話しかける。「梅乃、梅乃……」 「んっ? どうしたの? 小夜」 梅乃が薄っすらと目を開けて言うと「なんか出たみたい……」小夜が言うと、梅乃が『ガバッ』と起き上がる。「えっ? マズいな~」 梅乃が呟くと「マズい?」 小夜が首を傾げる。「だから、オネショでしょ? お婆に叩かれるよ~」 梅乃が頭を抱える。「えっ? オネショしてないよ……」 小夜が目を丸くすると「だって、「出たみたい」って……」 梅乃がキョトンとする。「あっ、それか……って、そうじゃない! 便所の壁の向こうから歌が聴こえたのよ~」 小夜の口調が早くなる。「歌? どこかの酔っ払いじゃない?」 そう言って、梅乃が布団の中に潜ると「そうじゃないのに……」 小夜は気落ちしてしまった。翌朝、梅乃が目覚めると、小夜は布団に居なかった。(小夜、早起きだな……)梅乃も起きて、布団を畳む。「おはよう」 古峰が声を掛けると「おはよう♪ 小夜、見なかった?」 「さ、小夜ちゃんなら外に出ていったよ」 古峰が説明をすると、梅乃も妓楼の外に出て行く。「小夜~」 玄関を出て、声を出しても小夜の返事がない。そして妓楼の裏手に回ると、「いた。 小夜~」 梅乃が声を掛ける。「梅乃……」 小夜の表情は暗く、落ち着きもなかった。「小夜、どうしたの?」 「昨日の……歌が気になって」 小夜がキョロキョロと周囲を見回すと、梅乃もキョロキョロとする。「それで、どんな歌だったの?」 梅乃が聞くと、「通りゃんせ……」 小さく答える。「通りゃんせか……小さい頃
第三十三話 紅《べに》冬も終わる頃、昼間の暖かさを感じれるようになってきた。そして、頬に温かさを残している者がいる。片山である。片山は、鳳仙が触れた頬の感触が忘れられずにいた。『ボーッ……』 仕事をしているものの、少しすると鳳仙を思い出しては こうなってしまう。(重症だな……) 禿の三人は、遠目で見ていた。「古峰~ ちょっと……」 妓女のひとりが古峰を呼ぶと「は~い。 姐さん、行きます」 そう言って大部屋に向かう。玉芳が厳しく言ったことから、禿に厳しく言うことは減っていた。古峰も段々と警戒は薄れ、返事も明るくなっていた。(やっぱり玉芳花魁は凄い……) 梅乃の理想は玉芳であり、いつかは玉芳のようになりたいと思っていた。昼見世の時間、妓女は張り部屋に入る。ここで顔を売り、夜に指名を貰う為である。段々と暖かくなり、人足も増えてきたころ「古峰も中に入りなさいな~」 そう言って、張り部屋に古峰が引きずり込まれる。「あ、あの……」 口下手な古峰は、上手く断れずにいた。そして、妓女の一人が化粧道具を持ち、古峰に化粧をする。「あわわわ……」 化粧をされるのが初めてな古峰は、言われるがまま流されていった結果……「えっ?」 全員がポカンとする。 「あの……何か?」 古峰が不思議そうな顔をする。「お前……鏡、見てごらん」 妓女が鏡を古峰に見せると「誰だ……?」 古峰自身も驚いていた。顔立ちが濃く、ハッキリしていて目が大きく大人っぽい古峰に全員が黙った。古峰が どうしていいか分からず “チラッ ” と、梅乃と小夜を見ると(なんか勝者の顔に見える……) 梅乃と小夜は、ショボンとして歩いて行ってしまった。(えーっ? 助けてくれないの?) 古峰は見捨てられたような絶望感を味わっていた。その後、妓女の玩具《おもちゃ》にされた古峰は、バッチリメイクのまま過ごしていくことになる。張り部屋に居た古峰に指名が入るほどの変貌ぶりに(なんか負けた気がする……) 仲の町を歩く梅乃と小夜は落ち込んでいた。「梅乃~ 小夜~」 呼ぶ声が聞こえ、二人が振り向くと「何、しんみりと歩いているのよ~」 声を掛けたのは鳳仙である。「鳳仙花魁……」 梅乃が小さい声で言うと、「さっきから何なのよ~」鳳仙が茶屋に誘い、梅乃と小夜の三人でお茶を飲む。「……そ